芥川賞作家・町田康さんが語る映画『ホワイト・ゴッド』。「犬は人間の心を映す鏡のような存在」
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映画「ホワイト・ゴッド」トークイベントに町田康さん登壇
11月21日から公開されている、映画『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)』のトークイベントが11月22日、新宿シネマカリテで行われました。ゲストは芥川賞作家の町田康(まちだこう)さん。
町田康さんといえば、数々の文学賞を受賞した作品郡とは別に、ご自身が飼っている犬の視点で書かれた「スピンク」シリーズや、猫との日常を綴った「猫にかまけて」シリーズなどユニークな犬猫文学も大人気。題材となっている保護犬や猫たちと暮らしていることでも知られています。そんな町田康さんが語った『ホワイト・ゴッド』とは?
大人の都合で振り回される少女と犬の復習劇
現在、全国の映画館で公開中の『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』は、雑種犬に重税がかけられたハンガリーのとある都市で、飼い主のリリと離れてしまった雑種犬ハーゲンが、人間にひどい目に合わされて野生に目覚め、復讐するお話。あくまでフィクションですが、人間に虐げられる犬と、大人の都合に振り回され反発する少女がリアルに描かれています。
■雑種犬250匹が街を疾走!犬が人類に反乱する『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』11/21公開(ペットホームウェブ)
犬は人間の心を映す鏡のような存在
本作を「現実を真正面からとらえている」という町田康さん。同時に、「人によって、感動的な映画とみるか残酷な映画とみるか、判断が難しい」ともいいます。
コーネル・ムンドルッツォ監督によると、タイトル『ホワイト・ゴッド』とは、犬にとって神のような存在、人間(白人)を指すとのこと。犬3匹と暮らす町田康さんは、「犬はどうしても人間の都合に合わせないと生きていけない。繁殖もコントロールされている。このタイトルはまさにそうで、犬にとって人間は神といえる」といいます。
しかし劇中、その「神」の犬への行いは目を覆いたくなるものばかりで、ついにハーゲンは人間に牙を剥きます。町田康さんは、「私は犬の専門家ではないですが」と前置きしつつ、「犬が牙をむくのは非常に追いつめられた状態。例えば、飼い主がイライラしてどなってばかりいると、おびえた怖がりの犬になる。よく"犬は飼い主に似る"というのは違うと思う。犬は人間を映す鏡のような存在。そのまま写すのではなく、反映するという意味で」といいます。
カタルシスを感じる犬の爆走シーンと、壮絶で切ないラストシーン
リアルな描写と、タイトルのメタファーが強烈な『ホワイト・ゴッド』。他の映画と一線を画す犬たちの演技も強烈です。その集約といえるのが、CGを一切使わない犬250匹の爆走シーン。町田康さんも、「犬の爆走シーンが痛快。ずっと虐げられてきた犬が、自らの力で意思表示をして走るのにカタルシスを感じた」とのこと。
また、「犬がじつにいろいろな顔をしている。その原因を作っている人間がどんどん無表情になっていく。監督の意図した演出ではないか」と分析。映画の見どころについて問われると、「最後のシーンが衝撃的。犬の諦念が壮絶で美しく切ない」と絶賛しました。
犬に都合のいい夢を押し付けていないか?
さらに町田康さんは、「犬に負わしているものは何だろうか?私たちは、犬が助けてくれる、犬がいると楽しい、犬がいるとステキな家庭がつくれるとか、自分たちの都合のいい物語や夢を犬に押し付けている気がする」といいます。その言葉には、日本での犬や猫を取り巻く現状への問題提起が込められていると感じました。
みなさんは『ホワイト・ゴッド~』から何を感じるでしょうか?
『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(allcinema)
町田康さんの最新刊 『スピンクの壺』
生後4か月で行きどころを失った雄犬スピンクは、小説家の主人とその妻・美微さんの家に引き取られて暮らし始めた。主人は人間だがどこか犬っぽい。スピンクは主人にポチという呼び名をつけた。本書は犬のスピンクが、主人ポチや美微さん、同じく行き場をなくして引き取られた犬のキューティーやシードとともに、毎日を暮らす様子を丁寧に綴った日記である。2人と3頭の暮らす山奥の家に起こる出来事、事件を四季の移り変わりとともに描く、現代日本の犬猫文学決定版!
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